南イタリアのレッチェに行ってきました。レッチェはプーリア州にあり、ちょうどブーツのかかとらへんにある街です。2012年7月28日の朝に旅立って7月31日のお昼に帰ってきました。4日間という短い間でしたが、初めて南イタリアに行けてとても楽しかったです。そして何よりベネチアという土地から一旦離れ南イタリアの太陽をさんさんと浴びて、気持ちいい風を受けてきてかなりリラックスできた事に感謝です★
飛行機でベネチアから1時間半くらいで到着★飛行機代も往復で100ユーロ程に買えます★
飛行機を降りて感じたのが風。
風が気持ちいい~~~~!!!
なんていい風なんだろう。
この時点で初めての私の南イタリアの旅は最高のものになるだろうと確信していました。
今回は南イタリアのレッチェ出身のフランチェスコの家に泊まらせてもらうことにしました。なんと5人兄弟の末っ子という彼はレッチェにたくさん親戚がいて、そして別荘もあるというなんともラッキーな境遇★
彼の別荘に着いた後に、レッチェの夜の町並みを見に行きました。レッチェという町は全体的に真っ白でギリシャを思い出させるような風景がたくさんあります。そしてバロック様式の建物が多いことから「南イタリアのフィレンチェ」という異名も持ち合わせている2000年以上の歴史がある町です。
上の風景を見た時息がとまりました。白い建物に囲まれ、歴史と自分が一緒に溶ける瞬間、こんな体験はなかなかできないなぁと思いました。そして日本人観光客が全くいないことに気づく私。
ここはイタリアの穴場だ・・・。
日本人だけではなく、中国人も見当たらない。
みんなフィレンチェやローマやミラノ、ベネチア、ナポリなど有名どころに行っちゃって、こういうレッチェとかいう場所は見逃しているんだなぁと思いました。
みんなこういうところこそ来ればいいのに。
観光客も少なくて、あまり並ばなくてもいいし、ストレスも少ないですよ。
レッチェの夜は光と闇を楽しめます。いたるところにライトが設置されていて、絶妙な光の交差の中で散歩できます。ベネチアにはライトは設置されないので、夜になると真っ暗になっちゃうんですよね。だからお化けがいそうに見えるのですが。
教会の中に入ろうと思ったら、夏服でも肌を見せてはいけません。だから私は服を覆って肌を見せないようにしていました。これはバチカンでも一緒でした。友達はどうしても入りたくてビニール袋をかぶって入りましたけど(笑)
そして教会見学の時はあまりぺちゃくちゃしゃべらず、神様を見させて頂くという尊敬の念を持ってはいっていくのも重要★
上は聖オロンツォの円柱の写真です。聖オロンツォがレッチェの町を守っています。
円形闘技場なども街中にまだ残っていて、オペラやダンスが今でも住民の方によって楽しまれています。ローマの円形闘技場は崩れが目立ちますが、レッチェのは上のようにはっきり残っていますね。
とにかく一日目は2時間くらいレッチェの街中を散歩して夢の中を歩いているみたいでした。
気になったお店に入ってみたり~★これはラベンダーのグッズで埋め尽くされたお店でした。
上の影は左からフランチェスコ、ダニエル、私のシルエット。
2日目はビーチに泳ぎに行きました。なんてきれいな海なんだーーーーー。
ベネチアのリド島の水とは全く違う!汚染されていないピュアな海の水でした。
観光地観光地していないが為に、イタリア人率も高く、水もきれいで最高でした!
海でみんなで遊んだ後は夕食にレッチェのレストランでごはんを食べに行きました。
私はプーリア州で有名なOrecchietteというパスタを食べました。Orecchietteというのは「小さな耳」という意味で、上の写真を見てもらったら分かるように、確かに小さな耳みたいな形してますよね。本当に耳たぶみたいにもちもちしてて、ちょっと汁気のあるソースがよく合い、トマトソースと絡められたりします。
上の写真がレストランの様子です。夏はもっぱらヨーロッパ人は外で食べます。ガーデンの中で木にたくさんのライトが灯されていてとってもロマンチックな雰囲気でした。
3日目は隣町のOtrantoに遠足に行ってきました★
OtrantoというのはLecceから車で1時間半ほど走らせたところにある街で、昔オトラントの戦いでオスマン帝国に侵略されて、イタリア人が虐殺された時の人々の骸骨が埋蔵されている教会があるから見に行こう!といわれて、一緒に見に行きました。
すごい迫力でした。目の前でこんなに生で骸骨をみたのがが初めてで
「びっびくりしたーーーーー。」
と本当にびっくりしてました。
1480年に起こったこのオトラントの戦いは800人のイタリア人がカトリックからイスラム教徒に宗教を変えるのを拒んだために虐殺されました。
全体像はこんな感じ。教会にこんなになまめかしく置く理由は
「忘れないようにするため」
だそうです。
過去の過ちを繰り返さないため。
確かに人間は忘れやすい動物。のどもとすぎればという所があります。
だからこの歴史を忘れないためにこんな風にいつでも見れるようにしたんですね。
この骸骨はオトラント大聖堂で見られます。
この教会には珍しいホロスコープのモザイクも床に敷き詰められていました。
歴史的にモザイクというのは重要な町にしか存在しません。
なぜなら、モザイクは高いからです。しかもとにかく制作に時間もかかるので、モザイクがあるということは、政治的に又は経済的に重要な役割を果たしていた町である証拠なのです。
上の写真がモザイクです。星の正座をモザイクで現していて、とても細かいピースで作られていました。どれだけの年数をかけて作られたのでしょうか?
海の近くの町なので砦を見に行ったり~!!!
途中でこんな大きな湖にも遭遇しました。人口で作られたそうです。
いい風が吹いていました~。
南イタリアは湿気が少なく、ちょっと日差しがきつくても風がふいててくれるのでさわやかです~~~。
風がきつくて背伸びしてタイタニック状態になっても大丈夫~~~!!!
オトラント大聖堂を見学した後に感想を自由にかけるノートがあったので、自分の名前と住所と感想を書いてきました。
Yuko Hirose sopresa!
廣瀬祐子 びっくりこいた~!って(笑)
最後にはフランチェスコのパパにもあって、仲良くなりました。名前はサルバトーレ。
(皆様、サルバトーレ・クオモさんってご存知ですか?私は12歳の時にWOWOWでイタリア料理の番組で初めて見て一目ぼれしてしまいました)
この方は若い頃は駅員さんで、後はイタリアの市役所に真面目に勤務し、32歳で結婚して5人の子供を育てた真面目~なお父さんです。
今は家の大きな畑でりんごや桃やトマトなどを栽培してみんなに分け与えています。
このお父さんのオーラに癒されて泣きそうになりました。
なんていい人なんだ~!
この人の別荘を借りて、こんないい経験させてもらって本当にありがとうございました。
これがフランチェスコの甥っ子たち。お姉ちゃんの子供らしい。
最後はこの子達に空手を教えたりして、子供と子供みたいに国際交流した私でした。
二人ともサッカーとかして活発な子供でした。
二人ともかなり運動神経がよかったので、空手の飲み込みも早かったです。
「ゆうこは一体何歳なの?」
「27歳だよ!」
「27歳なのに、そんなキックできるの?」
「年齢は関係ないよ。何歳になってもスポーツは続けなさい。」
といったような会話をしたのを覚えています。
個人的に本当に運動するというのは生きる上で不可欠なことだと思っています。
根っからの体育会系なんですかね。
とにかく、この南イタリアにいけたことに対して、神様に感謝★
ベネチアは人口の島なので、自然が少なく、観光客まみれなので、少し不眠気味だった私にさわやかな安らぎを与えてくれる旅になりました。
不思議なことにこの旅の後からぐっすり眠れるようになった私。
リラックスできるということは最高の贈り物ですね。
リフレッシュしてベネチアに帰ってきて、元の生活に戻った私でした。
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