2012年8月27日月曜日

私のお気に入りの旅に関する本

さて、今日は珍しく本の話をしたいと思います。
旅ネタでピカイチに気に入っている本がこの一冊。
「Eat Pray Love」です。

日本語版では「食べて、祈って、愛して」で販売されています。
この話は実話で、アメリカ人のエリザベスギルバートという女性の旅の記録です。

下の写真の女性がエリザベスです。今ではもう43歳だそうですが、世界旅行に出た時は32歳でした。キャリアも家も素敵な旦那もいたのに、なぜか幸せでなかった彼女。夫と離婚し、ニューヨークで築き上げた全てを捨てて旅をする決意をします。
離婚のおかげで彼女は財産を全て失います。しかし、1年後の世界旅行の後に本を出版するとほんの出版会社と約束し、お金を前借して出版会社にサポートしてもらいつつ、旅に出るのです。(しかし、こうしたら書くことに対してモチベーションが上がるのでいいですね。自分の旅がただ自分の為だけの体験ではなく、将来本として世に出すと決めていれば、自分を追い込む事ができて、成功しやすいと思います)

映画版ではジュリアロバーツが主役として演じています。 文字通り彼女は食べて祈って愛します。
全てアルファベットのI から始まる国に3ヶ月ずつ旅します。
まず最初はイタリア。そして彼女は食べまくります。
そして次にインド、そこで彼女は瞑想をして自分の過去を見つめたり、人としゃべらない業を行ったりして、自分の心の平安を取り戻します。
最後にインドネシア。ここでも彼女は瞑想を続け、心のバランスを取り戻し、最後には新しい愛を見つけます。

最近江原啓之 さんの「オーラの泉」などで日本でもスピリチュアリティー、癒し、精神性、内観などが取り上げられていますが、この本は一人の女性が離婚後、世界を旅する間に自分の内面と語り合い、自分の過去を理解し、自分の現在を把握し、最後に自分らしい答えを見つけていく本です。

この本には2008年7月にアメリカで出会いました。
この頃はアメリカのロングビーチで大学生をしていました。
大失恋を経験して学校の無料のカウンセリングに通っていた時でした。
(アメリカの大学では気軽に無料でカウンセリングを受けることができます)
その時にカウンセラーにこの本を薦められました。

最初はEat Play Love????
とprayをplayだと思っていたので、なんて軽い本なんだと思っていました。
食べて、遊んで、愛せだと???

それがpray(祈る)だと分かって読んで見ると想像以上に深い本だと気づきました。
失恋後の人や、恋愛で悩んでいる人、恋愛依存症の人におすすめの本です。
英語でも分かりやすい英語なので読みやすかったです。

彼女は自分を見つめて、

「15歳からずっと誰かと付き合ってきて、別れて、すぐ彼氏がまたできて、そしてまた別れて、また新しい彼氏ができる!私の人生その繰り返しよ!私15歳から一人になったことない!自分の時間が全くない!」

と気づきます。




映画も見ましたが、私は断然本のほうがおすすめ!!!
本は彼女の心の変化や、細かい精神分析が記されていてとても共感が沸きます。
個人的に彼女がイタリア語を学んでいくところや、ピザをナポリでほおばるところや、彼女がベニスで友達と待ち合わせるところなど、私の好きなイタリアについて書かれているのでわくわくします★

ただ、本が読む時間がない方や、ざっとストーリーだけ把握したい方は映画もいいかもしれません。実際私も本が読むのが遅いので最後が知りたくて映画を先に見ました(笑)

彼女のようにテーマを持って旅をするというのは、とてもいいことだと思います。
何か人生の中ではっきりさせたい事がある、何か悩んでいるっていう人は旅をする前にテーマを決めて、それを軸にアンテナを張っていると、出会う人や旅先で見るものが不思議とヒントをくれる気がします。そして旅が終わる頃には答えはおのずと出ている・・・。そして旅の後の自分はまったく違う自分であれる。

旅はそんなセルフヒーリングな効果もあると思います。
日頃のしがらみ、人間関係のしこり、自分ではどうしようもない問題などに日常生活の中でうもれそうになる時、パッと旅に出てしまうってのもありだと思います。
これは現実逃避ではないと思います。
旅に出て問題を客観的に見ることは大切だと思うのです。

実際私も初めて16歳の時にイギリスに2ヶ月半ホームステイしたとき、日本を振り返った時

「日本ってなんて小さいんだろう。日本だけが国ではない。日本は世界中の国々のたったの1つにすぎない。」

と大きな視野を持てるようになりました。
そしたら小さな事では悩まなくなりました。

日本人にはこの客観的に日本を見つめる機会が少ないと思います。
日本は島国でhomogeneous (単一民族国家)なので、日本では日本語だけが話されています。
中学生の時に感じた私の日本は

「みんな同じでなければいけない。同じじゃないとおかしい。」
という風潮が強かった気がします。
そんな中、しがらみや人間関係のしこりから出られなくなると自殺というケースが多いのではないでしょうか。

旅に出て日本の文化をさらに好きになりました。
しかし、それは一旦外に出たからだと思います。
一旦外に出て日本を見つめてみる。そしたら日本のいいところも悪いところも浮き彫りになるのです。

さて、途中で脱線した気もしますが、彼女は旅を始めて1年後、離婚後の自分の人生に答えを出します。それは、皆さん映画か本を読んで見つけてみてください~★

あなたも彼女のように自分を解き放ちませんか?
Let yourself go!

2012年8月18日土曜日

南イタリアのレッチェに行ってきました★

南イタリアのレッチェに行ってきました。レッチェはプーリア州にあり、ちょうどブーツのかかとらへんにある街です。2012年7月28日の朝に旅立って7月31日のお昼に帰ってきました。4日間という短い間でしたが、初めて南イタリアに行けてとても楽しかったです。そして何よりベネチアという土地から一旦離れ南イタリアの太陽をさんさんと浴びて、気持ちいい風を受けてきてかなりリラックスできた事に感謝です★

飛行機でベネチアから1時間半くらいで到着★飛行機代も往復で100ユーロ程に買えます★
飛行機を降りて感じたのが風。
風が気持ちいい~~~~!!!
なんていい風なんだろう。

この時点で初めての私の南イタリアの旅は最高のものになるだろうと確信していました。

今回は南イタリアのレッチェ出身のフランチェスコの家に泊まらせてもらうことにしました。なんと5人兄弟の末っ子という彼はレッチェにたくさん親戚がいて、そして別荘もあるというなんともラッキーな境遇★
彼の別荘に着いた後に、レッチェの夜の町並みを見に行きました。レッチェという町は全体的に真っ白でギリシャを思い出させるような風景がたくさんあります。そしてバロック様式の建物が多いことから「南イタリアのフィレンチェ」という異名も持ち合わせている2000年以上の歴史がある町です。


上の風景を見た時息がとまりました。白い建物に囲まれ、歴史と自分が一緒に溶ける瞬間、こんな体験はなかなかできないなぁと思いました。そして日本人観光客が全くいないことに気づく私。

ここはイタリアの穴場だ・・・。

日本人だけではなく、中国人も見当たらない。

みんなフィレンチェやローマやミラノ、ベネチア、ナポリなど有名どころに行っちゃって、こういうレッチェとかいう場所は見逃しているんだなぁと思いました。

みんなこういうところこそ来ればいいのに。

観光客も少なくて、あまり並ばなくてもいいし、ストレスも少ないですよ。


レッチェの夜は光と闇を楽しめます。いたるところにライトが設置されていて、絶妙な光の交差の中で散歩できます。ベネチアにはライトは設置されないので、夜になると真っ暗になっちゃうんですよね。だからお化けがいそうに見えるのですが。


教会の中に入ろうと思ったら、夏服でも肌を見せてはいけません。だから私は服を覆って肌を見せないようにしていました。これはバチカンでも一緒でした。友達はどうしても入りたくてビニール袋をかぶって入りましたけど(笑)
そして教会見学の時はあまりぺちゃくちゃしゃべらず、神様を見させて頂くという尊敬の念を持ってはいっていくのも重要★


上は聖オロンツォの円柱の写真です。聖オロンツォがレッチェの町を守っています。

円形闘技場なども街中にまだ残っていて、オペラやダンスが今でも住民の方によって楽しまれています。ローマの円形闘技場は崩れが目立ちますが、レッチェのは上のようにはっきり残っていますね。

とにかく一日目は2時間くらいレッチェの街中を散歩して夢の中を歩いているみたいでした。
気になったお店に入ってみたり~★これはラベンダーのグッズで埋め尽くされたお店でした。


上の影は左からフランチェスコ、ダニエル、私のシルエット。


2日目はビーチに泳ぎに行きました。なんてきれいな海なんだーーーーー。
ベネチアのリド島の水とは全く違う!汚染されていないピュアな海の水でした。

観光地観光地していないが為に、イタリア人率も高く、水もきれいで最高でした!


海でみんなで遊んだ後は夕食にレッチェのレストランでごはんを食べに行きました。
私はプーリア州で有名なOrecchietteというパスタを食べました。Orecchietteというのは「小さな耳」という意味で、上の写真を見てもらったら分かるように、確かに小さな耳みたいな形してますよね。本当に耳たぶみたいにもちもちしてて、ちょっと汁気のあるソースがよく合い、トマトソースと絡められたりします。


上の写真がレストランの様子です。夏はもっぱらヨーロッパ人は外で食べます。ガーデンの中で木にたくさんのライトが灯されていてとってもロマンチックな雰囲気でした。

3日目は隣町のOtrantoに遠足に行ってきました★
OtrantoというのはLecceから車で1時間半ほど走らせたところにある街で、昔オトラントの戦いでオスマン帝国に侵略されて、イタリア人が虐殺された時の人々の骸骨が埋蔵されている教会があるから見に行こう!といわれて、一緒に見に行きました。


すごい迫力でした。目の前でこんなに生で骸骨をみたのがが初めてで
「びっびくりしたーーーーー。」

と本当にびっくりしてました。

1480年に起こったこのオトラントの戦いは800人のイタリア人がカトリックからイスラム教徒に宗教を変えるのを拒んだために虐殺されました。


全体像はこんな感じ。教会にこんなになまめかしく置く理由は

「忘れないようにするため」

だそうです。

過去の過ちを繰り返さないため。

確かに人間は忘れやすい動物。のどもとすぎればという所があります。
だからこの歴史を忘れないためにこんな風にいつでも見れるようにしたんですね。

この骸骨はオトラント大聖堂で見られます。
この教会には珍しいホロスコープのモザイクも床に敷き詰められていました。
歴史的にモザイクというのは重要な町にしか存在しません。
なぜなら、モザイクは高いからです。しかもとにかく制作に時間もかかるので、モザイクがあるということは、政治的に又は経済的に重要な役割を果たしていた町である証拠なのです。


上の写真がモザイクです。星の正座をモザイクで現していて、とても細かいピースで作られていました。どれだけの年数をかけて作られたのでしょうか?

海の近くの町なので砦を見に行ったり~!!!


途中でこんな大きな湖にも遭遇しました。人口で作られたそうです。

いい風が吹いていました~。
南イタリアは湿気が少なく、ちょっと日差しがきつくても風がふいててくれるのでさわやかです~~~。


風がきつくて背伸びしてタイタニック状態になっても大丈夫~~~!!!

オトラント大聖堂を見学した後に感想を自由にかけるノートがあったので、自分の名前と住所と感想を書いてきました。

Yuko Hirose sopresa!

廣瀬祐子 びっくりこいた~!って(笑)

最後にはフランチェスコのパパにもあって、仲良くなりました。名前はサルバトーレ。
(皆様、サルバトーレ・クオモさんってご存知ですか?私は12歳の時にWOWOWでイタリア料理の番組で初めて見て一目ぼれしてしまいました)
この方は若い頃は駅員さんで、後はイタリアの市役所に真面目に勤務し、32歳で結婚して5人の子供を育てた真面目~なお父さんです。

今は家の大きな畑でりんごや桃やトマトなどを栽培してみんなに分け与えています。
このお父さんのオーラに癒されて泣きそうになりました。
なんていい人なんだ~!
この人の別荘を借りて、こんないい経験させてもらって本当にありがとうございました。



これがフランチェスコの甥っ子たち。お姉ちゃんの子供らしい。


最後はこの子達に空手を教えたりして、子供と子供みたいに国際交流した私でした。
二人ともサッカーとかして活発な子供でした。
二人ともかなり運動神経がよかったので、空手の飲み込みも早かったです。

「ゆうこは一体何歳なの?」
「27歳だよ!」
「27歳なのに、そんなキックできるの?」
「年齢は関係ないよ。何歳になってもスポーツは続けなさい。」

といったような会話をしたのを覚えています。
個人的に本当に運動するというのは生きる上で不可欠なことだと思っています。
根っからの体育会系なんですかね。


とにかく、この南イタリアにいけたことに対して、神様に感謝★
ベネチアは人口の島なので、自然が少なく、観光客まみれなので、少し不眠気味だった私にさわやかな安らぎを与えてくれる旅になりました。

不思議なことにこの旅の後からぐっすり眠れるようになった私。
リラックスできるということは最高の贈り物ですね。

リフレッシュしてベネチアに帰ってきて、元の生活に戻った私でした。
 
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2012年8月1日水曜日

ロミオ&ジュリエットを見に行ってきました!






ロミオ&ジュリエットといえば私は1996年のレオナルドディカプリオのイメージが強烈に強いです(↑)。シェークスピアを読んで知ったというよりハリウッド映画のはちゃめちゃなあの印象がこべりついていて、まさかロミオ&ジュリエットの舞台がイタリアだったなんて最近まで知りませんでした。

ということで、舞台であるベローナで野外オペラの「ロミオ&ジュリエット」を見に行こうと友達と行ってきました★他にも「カルメン」や「アイーダ」も見れます。今度はぜひ「カルメン」を見に行きたいと思っています★


これが本物のジュリエットの家のバルコニー。
ここからジュリエットはロミオを見つめていたんですね。
ベネチアから電車で2時間程でベローナに行けます!

上はジュリエットのバルコニーの下にあるジュリエットの銅像です。
胸を触って写真をとったら幸運を運んできてくれるそうで、さっそくやってみました★

これ野外オペラが見れるエリーナです。ローマのコロセウムとは違いはっきりと昔からの形が残っていますね。コロセウムよりはちょっと小さめですけど、昔からの形のままオペラが楽しめるので臨場感がびんびん伝わってきました。

アリーナの入り口ではオペラのチケットをチェックするお姉さん達が立っています。
私のチケットを切ってくれたお姉さんはドイツ語とイタリア語と英語をしゃべれるトライリンガルでした★

中はこんな感じです。長友に会いにミラノに行った事を思い出しました。ちょうど本当にサッカーの試合場みたいな感じです。座るところは石でできているので、みんなクッションを4ユーロ程度で購入するかレンタルしていました。持っていくのもかしこいかも。

照明がつくとこんな風にロマンチックになります。みんなろうそくを灯したりして、幻想的な雰囲気をみんなで作り上げていきます。後ろの背景は人が階段を上ったり下がったりして、後ろの絵を変えていました。

19ユーロのけっこう上から見える席だったんですけど、全体的な雰囲気を楽しめオペラにそんなにこだわらない人は19ユーロでもいいのでは?と思います。でもやっぱり響くとはいえ、歌手の声は小さめに感じました。それからやっぱり遠いからダンサーの迫力に欠ける(汗)





いい席に座ろうと思ったら100ユーロ、150ユーロくらい出せばオーケストラのまん前に座れます。みんな上等そうな服を着て社交界みたいな格好をしていました。

次の日ベローナの観光をしていたら、pomodoro通りを見つけました。文字通りトマトどおりです。
もっと文字通りに説明すると黄金(oro)のりんご(pomo)って意味になります。黄金のりんごでトマトか・・・。トマトとれたんですかね、昔ここで。

途中疲れたので、ちょっと一休みするために感じのいいお店に入りました。あまりお腹はすいてなかったのですが、小ビールと上のciccetti (フランスパンにハムとかツナなどがのったもの)を頼みました。一つ1ユーロだったので以外に安くで済みました。


とてもいい天気で気持ちよくお散歩できました。ベローナは中世の雰囲気がそのまま残っていて、建物の一つ一つのデザインも可愛らしく歩いているだけでもウキウキする街でした。  かつてはベネチアがこの街を支配していたそうです。イタリアは歴史が深い上に一つ一つの街が濃いので本当に飽きません。ベネチアに帰ってきた時に、やっぱりベネチアは普通じゃないなと再度確信しました。ベネチアは本当に「摩訶不思議」な街です。ベローナは車も通っているし、大運河がないのでもっと現実感がありましたが、ベネチアはゴンドラなどが日常茶飯事にうろうろしているので、本当にハリーポッターの世界に入り込んだ気分になります。

2012年7月12日木曜日

ゆうこのきまぐれ世界放浪記: イタリアで膀胱炎になりました★

ゆうこのきまぐれ世界放浪記: イタリアで膀胱炎になりました★: いつもの様にサンマルコ広場をジョギングしていたら膀胱炎らしき感覚がした(汗) 最後に膀胱炎になったのは6年前の2006年アメリカにいた時でした。 あの時は何がなんだか分からなかったのでしばらく放置して、おしっこするたびに痛かったし、熱も出て授業中に倒れるかと思いまし...

イタリアで膀胱炎になりました★



いつもの様にサンマルコ広場をジョギングしていたら膀胱炎らしき感覚がした(汗)

最後に膀胱炎になったのは6年前の2006年アメリカにいた時でした。
あの時は何がなんだか分からなかったのでしばらく放置して、おしっこするたびに痛かったし、熱も出て授業中に倒れるかと思いました。

図書館で仲良くなった日本人スタッフのかずえさんにクランベリージュースがいいといわれ、スーパーマーケットで大量に購入。

しかし治らず、かずえさんが見かねて車で近くのクリニックまで連れて行ってくれました。
21歳だったと思います。

それからおしっこが我慢できなくなった傾向があります。
添乗員中もわたしがおしっこしたいからバスを止めたことがあります(笑)
お客さんぽかーんとしてました。

次の集合場所と時間を運転手さんに任せて一目散にトイレにいったことがあります。

「ちょっと、運転手さん、後よろしく!」


そんな添乗員さん見たことありますか?

それもこれも全て膀胱炎のせいです。

本当に膀胱炎は辛い病気です。

まさかイタリアでもなるなんて。

イタリアの病院はイタリア語がしゃべれないとキツイし、外国人扱いされて4時間も6時間も普通に待たされるのに、膀胱炎なんてなってるひまはない!

なんとかして治さねばと思い執念で3リットルの水を飲みました。
あとアスピリンとバファリンとニュージーランドのルームメイトがたまたまもっていた膀胱炎の薬を2パック飲み・・・。

あれ?

治ってきた?

次の日はかなりましになってきたけれど、やっぱり違和感は少々残る。

やっぱり抗生物質が必要か?

迷うところ。

ニュージーランドのルームメイトがベーキングパウダーがいいとかなんとか言ってきて、明日のランチに持って行ってあげるね!って言ってくれました。

ベーキングパウダーって膀胱炎に効くんですか?

誰か膀胱炎経験者アドバイスを下さい。
一日も早い回復を祈っています。





2012年7月5日木曜日

ゆうこのきまぐれ世界放浪記: イタリア・ベニスでのダンスと自分の成長

ゆうこのきまぐれ世界放浪記: イタリア・ベニスでのダンスと自分の成長: ダンスねたが続きますが、2012年5月31日にコンテンポラリーダンスの発表会がありました。 前半  https://vimeo.com/43786405 後半  https://vimeo.com/45058595 上は撮影されていたビデオのリンクです。 どう...

ダンスと自分の成長




ダンスねたが続きますが、2012年5月31日にコンテンポラリーダンスの発表会がありました。
前半 https://vimeo.com/43786405
後半 https://vimeo.com/45058595

上は撮影されていたビデオのリンクです。
どうぞご興味のある方は見てください~!

2011年の12月に一度Sacca fisolaにあるコンテンポラリーダンスのレッスンに無料体験に行き、他のダンススタジオもあったにもかかわらずなぜかこのダンススタジオを気に入り、このダンススタジオに1月、2月、3月、4月、5月と通っていました。5月になってから先生が

「5月の末にみんなでダンスのエキシビションしたいんだけど、参加したい?」

と言ってきたので、

「ぜひともしたいです!」

と即答でした。

そもそも私はダンスを18歳くらいの時から真剣に取り組み始めていて、Santa Barbara City Collegeに行かなかったらNew YorkのBroadway Dance Centerという所に2年間留学する予定でした。18歳の時の私はダンサーになることしか頭になかったのです。

18歳の時に入学した大阪の枚方市にある関西外国語大学の英米語学科は在学中にダンサーになりたいという夢の方が大きくなり、一年で退学。本当に生きたい人生を生きたいという思いから、日本の大学という保険の様なレールから大きく外れたのでした。

さて、19歳で大学中退、フリーターという何も社会的に何者でもない自分に戻り、学生でも社会人でもない中途半端なスタートでバイトをしながら毎日の様に京都の五条にあるDo-oneというダンススタジオに一年間通ったのでした。

バイト代は月8万から12万?稼いでいた中で3万~4万はダンスのレッスン代に費やしていました。発表会があれば衣装代、発表会参加費、交通費と色々お金がかかりました。19歳といえどもなぜかダンスだけにかけることに不安を感じ始める私。

「本当にダンスだけがしたいのかな?」

と本能的に問い始めた頃でした。


英語も好き、空手も好き、ダンスも好き、留学もしたい。私の好奇心は自分の進路を迷わせました。大学に行きなおすべきだろうか?それともダンススタジオに通ってダンサーになるべきだろうか?

「本当は何がしたいんだろう?」

とにかく10代は自分が誰か分からず自分との葛藤だらけでしんどかった思いがあります。
なんとな~く大学に行ってなんとな~く就職することが出来なかった私。

私なりの納得する答えが必要だったのです。

一年間フリーターをしながらダンススタジオに通ってダンス生活を体験して決めた決断はNew Yorkに行かず、CaliforniaのSanta Barbaraの短大への進学でした。

結果短大から大学に編入することになり結局アメリカには4年間いることになりました。

「ダンスだけがしたいんじゃない。私は政治学も英語もフランス語も国際関係学もビジネスも全て勉強したい。ダンスだけに青春をかけるのはもったいない。ダンスはいつでもできる。でも留学はいましかできない。」

と自分の可能性の幅を広げる方向でかたまりました。



20歳になった2005年の8月11日から24歳の2010年の2月までアメリカにいた私。
専攻はジャーナリズムで副専攻が国際関係学でしたので、実は思いっきりダンス生活から離れてしまったのでした。学校と図書館と家を行き来するだけの日々が続いたこともあります。100ページのリーディングの宿題が出て、英語との戦いにやっきになっていました。

踊るといえばクラブでみんなと踊るくらいでした。一度California State University of Long Beachに編入した後、Jazz クラスをとりましたが、どこかのグループに混ざって発表会をしたり、エキシビションをしたりすることはあまりありませんでした。

2010年3月、アメリカから帰国後すぐ、地元の宇治市の公民館で子供達に英語とダンスを教え始めることになりました。

「ゆうこちゃん、空手子供達に教えてあげてくれる?」

と小さい頃からお世話になっている伊勢村先生にいわれ、それが

「ゆうこちゃん、ダンス子供達に教えてあげてくれる?」

に変わったのでした。



「ダンスを教える?」

対象は3歳くらいの子供から5歳くらいだったので、体の動かし方だけでもという感じだったので、あまりストレスはなかったのですが、ダンススタジオに行きなおす自分がいました。やっぱり地元の子供達に教えるんだったらちゃんと学びなおさないとっと。

2010年の11月に地元の文化センターで発表会がありました。

「ゆうこちゃん振り付け考えてくれる?」


自分でダンスの振り付けを考えたことはあまりなかったので、私はあまり乗り気じゃなかったのですが、添乗員をしながらバスの中で音楽を聴いて子供達のダンスの振り付けを考えたりしていました。きっとお客さんはこの添乗員大丈夫かなって思ってたと思います。



なんとか自分の振り付けを子供達に教えて2010の11月に踊りきった時は達成感と人のためにダンスをすることを覚えました。18歳の時の自分はかっこいいからとかsexyだからとか見た目しか考えていなかったですが、25歳になってダンスの表現の仕方がだんだん変わってきました。特にこのボランティアで子供達にダンスを教えて、人の為に教えて踊るダンスは内面からの真の幸福感がありました。

この体験でアメリカ中にダンスから離れていた私は日本でダンスを続けるという方向に変わりました。別にプロじゃないからってダンスをやめる必要はない。ダンスが好きだったら続ければいいんだ。自分がダンサーだと思えば自分はダンサーなんだと。

そんな中また添乗員の仕事も子供達にダンスを教える仕事も全てを捨てて2011年の4月に世界旅行を始める私。香港、中国とブリュッセルを一人で回り、2011年の8月からはイタリアのベニス弊社のHostelsclub.comで働き始めることになりました。

またダンスからしばらく離れる私。




イタリアの ベニスに来て2011年の8月~12月までダンスから離れていたと思います。まずベニスに来て、イタリアの生活に慣れることが大変だったことと、イタリア語でダンススタジオを探すのも大変だったからです。
(2011年の10月に日本に出張に帰った時は1回か2回ビジターとしてダンスのレッスンに行きましたが)

そして2011年の12月にイタリア人のダンスの先生Marianna Andrigoに出会いコンテンポラリーダンスを本格的に始めたのでした。

2012年の3月からはCa Zanardiでタンゴを始めました。

27歳になってダンスを再開した私。18歳の頃のダンスとは全く変化していました。
ダンスは外形だけの美しさではなく、内面を表現する大切な自己表現の一つだと認識するようになりました。ダンスは私にとってとても大切なコミュニケーションの一つで体と心をつなげる大切な儀式なのです。

9年間に渡るダンスと私の関係はだいぶ変化しました。
しばらくつかず離れずの関係でしたが、今ではダンスはライフワークだと思っています。

今回ベニスでイタリア人に混ざってダンスコンテンポラリーの発表会が出来たことは自分にとって大きな収穫です。この体験は一生宝物だし、ダンスを通じてできて友達は一生物です。




 恩師のMariannaは日本の文化に興味があり、私が指揮を取って、漢字を宙に書きみんながその漢字を感じ取って自由にダンスで表現するというパートを発表会に取り入れました。イタリアで日本の文化が尊重されダンスで表現されるなんて感動の体験でした。



上の様子が私が漢字を宙に書いて、みんなが漢字をダンスで表現している様子です。



今回はダンスコンテンポラリーと空手を混ぜました。1分程トリでソロを頂いたので、コンテンポラリーと空手を混ぜた振り付けを自分で考え最後にMariannaがショーの終わりとして使ってくれました。

上が空手の残心をしているところです。空手で残心は敵を倒した後に、敵が起き上がっても攻撃態勢に入れるように敵が完全に死んだか確認するポーズです。また、一人の人間を殺してしまったという行為を自分自身の心で感じるという意味合いもあります。

今回のショーで私のメッセージは

「人生は困難も多く、人はネガティブになってしまうこともあるが、何があっても人は乗り越えなければいけない。何があっても生きていかなければいけない。」

だからこの残心は人生何があっても乗り越えていこうという自分の人生に対する意気込みでした。



27歳になったからこそ、意味のあるダンスを表現できる自分になりました。これからも自分の内面を見つめ、外面だけではなく内面を磨きつつ自己表現していきたいと思います。これからも自分を高めつつ、常に自分のベストを目指しながら自分をプロデゥースしていきます。

今回はダンスをする環境を与えてくれました恩師と見に来てくれました友達に心から感謝したいと思います。